アートヒル三好丘物語

アートヒル三好丘物語

三好丘旭の住民になって

わが家が三好丘旭に越してきて20年余りたちました。その前は名古屋市天白区原のマンションに10数年間住んでいましたが、少し手狭になってきたので、鶴舞線の沿線で住み替えようと物件を探していました。
たまたま、その頃の上司が、住宅都市整備公団に出向して、設計チームのスタッフとして担当したのが「アートヒル三好丘」の街づくりでした。

その上司から「三好丘は公団の自信作だ。一度見に行ってこい。」と勧められたので、現地を見に来ました。そして、三好丘の歩車分離や緑豊かな環境が気に入り、ここに住む決心をしました。

平成10年の頃なので、三好丘地区のいたるところで住宅地が造成され、物件が豊富にありました。その中で、三好丘緑の湖畔に建つ家が気に入り申し込んだのですが、抽選に外れてしまい、次に申し込んで当選したのが、今の旭の住まいです。

 

 

上の写真は、南方上空から「三好ヶ丘駅」方面を見ています。左に流れるのは境川。その右手が「アートヒル三好丘」の街並みです。三好丘旭の街並は、この写真の右上に続きます。

自宅は三好丘緑地に近く、豊田通商のウィングの建物がドラマに出てくるホテルのようで、毎日窓から眺めていましたが、今はなくなってしまい少し残念です。
その北側には8.8haの「三好丘緑地」が広がっています。

住むことを決めたもう一つの理由は、鶴舞線直通の豊田線の「三好ヶ丘駅」です。
乗りなれた「原駅」から6つ目の駅という親近感もありました。

そこで、名鉄豊田線とタイアップした公団による「三好丘地区」の開発の経緯と「三好ヶ丘駅」の設置について、「アートヒル三好丘物語」を執筆させていただきました。

2020年11月1日記
本記事責任編集:谷田修

「アートヒル三好丘」設計コンセプト

アートのある暮らし 「アートヒル三好丘」

「アートヒル三好丘」は、都市基盤整備公団(今のURL都市機構)が、「アートのある暮らし」をコンセプトに開発を行い、昭和63年に街びらきをしました。

歩行者は車と分離され、緑道を散歩やジョギングができます。
街角には彫刻があり、芸術と文化の香りにあふれた街並みが暮らしに潤いを与えます。

カーブする道がなぜ多い?

一方で、基本的には公園の設計を街全体に採り入れたため、車道も曲線が多いデザインになっています。
「この先の景色は?カーブの先には何がある?」という次の景色が見通せないことへの期待と愉しみ。
それは、ディズニーランドなどのテーマパークやズーラシアなどの動物園のデザインと共通であり、これこそ、「アートヒル」の街のデザインの基本コンセプトとなっています。

ただし、街の発展とともに住宅も交通量も飛躍的に増えたため、この曲線を多用した道路の形態が悩みにもなってきました。

上空から見た三好丘旭

横断歩道やカーブミラーの設置

近年の行政需要調査でも、横断歩道の設置やカーブミラーの新設等の要望が多いのも、この曲線道路のデザインに原因があると考えられます。
横断歩道の設置について警察の方針は、「道路の曲線部分には、危険なので横断歩道は設置しない。」とはっきりしていますので、曲線が終わり直線になった付近での要望となります。
また、カーブミラーも市の方針は、「カーブミラーはあくまで補助手段であり、頼りすぎると事故の原因にもなりかねないので、新設はその必要性を十分に考慮して判断する。」としています。
しかし、事故が多発する危険性のある箇所には必要なので、粘り強く要望していきます。

「浄水」はなぜ直線道路?

三好丘と対照的なのが隣町の浄水で、直線道路が交差し、機能的な街並みとなっています。
それは、浄水には戦時中に 海軍の「伊保原飛行場」があり、戦後にその滑走路の跡地を開発したので、1㎞以上直線の道路が続く街並みにその名残を残しています。

芸術と文化の香り高い街「アートヒル三好丘」と、機能的で見通しの良い「浄水」の街並み。住んで、散歩するには三好丘で、買い物等の行動には浄水が便利な街並みといったところでしょうか。この両方の長所が満たされた街並みが理想なのですが、現実はなかなかそうはいきませんね。

上空から見た浄水

鉄道の路線計画と「三好ヶ丘駅」

「名鉄豊田線」の路線計画

名鉄豊田線は昭和30年代に計画が持ち上がりましたが、当初は「八事」から一直線で豊田市の「拳母」まで行く計画でした。
(「乗り物の歴史」豊田市郷土資料館編集より)

これは、具体的には今の国道153号線のバイパスを経由して、豊田市方面に抜ける案だったようです。
それが、昭和47年に発表された豊田線の計画では、三好町の北部丘陵地帯を経由して豊田市に行く路線の内容でした。

名鉄豊田線

これは、三好町北部に「福谷地区」と「黒笹地区」併せて301haの丘陵地に人口32,000人のニュータウンを建設する大規模な計画を前提にしたものでした。

なお、「愛知池」の中に橋脚を建てる工事もありましたので、その際には飲み水の水質に悪影響を及ぼさないように細心の注意を払って、工事が進められたようです。

「三好ヶ丘駅」の設置条件

鉄道の駅としては「黒笹駅」と「浄水駅」は現在の位置に建設が決定していましたが、名鉄から「三好ヶ丘駅」を設置するには、三好丘地域一帯の開発をすることを条件とした提案がされました。
名鉄としては、当分の間、運賃収入が全く見込めない先行投資型の事業になるので、鉄道会社としては当然の条件だったのでしょう。

そこで三好町は、住宅・都市開発公団(現在のUR)に街の開発を委ねる方針を固め、昭和54年に第1地区として「三好丘・三好丘旭」126haの開発事業が開始されました。

「三好ヶ丘駅」の建設

現在の「三好ヶ丘駅」の設置場所は、地形的に急こう配になっているので、平面の駅を造るには技術的には難しい工事になります。
そこで、名鉄と地元役員との間で交渉を重ね、高架式の「三好ヶ丘駅」の建設が決まったのでした。

こんな苦労をして建設された 名鉄「三好ヶ丘駅」は、地上から10mの高架の駅で、駅前の通路は「ぺデストリアンデッキ」を採用し、ここから延びる緑道は歩車分離の安全な設計になっています。

街角のポイントの地点には、彫刻がおかれ「アートヒル三好丘」に文化と芸術の香りを漂わせています。

三好ヶ丘駅

現在の三好ヶ丘駅

「三好丘」のネーミングの由来は?

このように、豊田線とニュータウンの計画が進展してきたのですが、その当時はまだ「福谷地区」の名のままでした。そこで、昭和49年当時の地元の役員で協議を行い、次のような理由から「三好丘」に決定されました。

①三好町北部の丘陵地帯であることから。
②開発地域の「福谷」が「うきがい」と普通には読まれないこと。

三好丘の土地について

「三好丘の地価はなぜ高い?」

前述のとおり、昭和47年に「名鉄豊田線建設計画」が示され、その中で「三好が丘駅」を設ける条件として32,000戸の三好丘ニュータウンの大規模な開発計画が持ち上がり、三好町はその事業を 住宅・都市開発公団に委ねました。

公団の開発条件は「三好丘一帯は、公団の自由裁量で開発し、土地の半分は公団の所有地とし、残りの半分の土地は開発後、減歩割合を5割とする」というものでした。

三好丘の区画整理は先行投資型の事業なのでこの条件になったわけですが、この減歩割合5割というのは、例えば100坪の土地(従前地)が区画整理後に半分の50坪の土地に換地(交換)されるということです。
地主にとっては土地は小さくなりますが、区画整理により道路や公園が整備され、土地の価値が高まるので、その単価も倍以上になります。

また、この区画整理により「保留地」が生み出され、これを売却することにより事業収入に充てられます。この保留地の価格には開発コスト分が含まれているので、三好丘の土地はみよし市の中でも地価が倍以上に高くなるわけです。固定資産税もその分高くなっています。

豆知識 土地の価格の「一物四価」とは?

土地にはその目的により、次の4つの価格があります。

①公示・基準地価格 土地取引の指標となる価格として国土交通省または都道府県が公表する価格
②固定資産税評価額 不動産関連の税金の基礎となる価格 ①の70%相当
③相続税路線価 土地の相続税の計算をするために、土地に接する道路の価格を国税庁が発表する価格(①の80%相当)
④実勢価格 その地域の土地取引の実際の価格
ただし、土地の形状、大きさ等により千差万別

最終更新:2021年6月1日

続く…

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